homereports on history 雑学・事件の検証etc...レポート
Sakitama old burial mound group
photo gallery:NO1.NO2.さきたま風土記の丘/さきたま古墳群:NO1.

丸墓山古墳 maruhakayama
【形状:円墳/主軸長:105m/主軸方位:---/直径:105m 高さ18.9m/築造:6世紀半ば】

わが国最大の円墳といわれ、墳丘と堀の一部が復元されているが、もとの形をよく残しているという。墳丘の表面をおおっていた石(葺石)、円筒埴輪や人物埴輪が発見された。
天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原征伐の際、北条氏に味方する成田氏の忍城を攻めたとき、石田三成がこの古墳の南北に堤(石田堤)を築き、忍城を水攻めにした。※忍城参照。

稲荷山古墳 inariyama
形状:前方後円墳/主軸長:120m/主軸方位:N-37.5°−E/後円部経:62m 高さ11.7m/前方部幅:74m 高さ:10.7m/築造:5世紀末−6世紀はじめ
昭和12年に前方部の土が取られ、後円部分だけになっていたが現在は復元されている。
発掘調査で後円部からは2つの埋葬施設(礫槨_写真左・粘土槨_右)が発見され、多くの埋葬品が出土。’48・49の調査では墳丘のまわりに方形の二重掘や、墳丘くびれ部の西側と中堤の西側に祭の場と考えられる造出しが発見され、多くの人物埴輪や円筒埴輪が出土した。’53副葬品の保存処理を行った際、鉄剣から115文字の金象嵌(きんしょうかん)の銘文が発見され、これらの副葬品は国宝に指定された。<金錯銘鉄剣>
「稲荷山」は後円部上に稲荷社が奉られていたところから名づけられたという。また、水田の中にあったので「田山」とも呼ばれていた。

将軍山古墳 shougunyama
【形状:前方後円墳/主軸長:90m/主軸方位:---/後円部経:39m 高さ8.4m/前方部幅:68m 高さ:8.2m/築造:6世紀後半】

さきたま古墳群内では4番目の大きさ、墳丘は2段になっており中央部や頂上には埴輪が並べられ、黄色い土と黒っぽい土を交互に突き固めた「版築(はんちく)」という技法で墳丘が盛られていたという。1894年地元の人々により後円部にあった横穴式石室が発見され、豊富な遺物が出土した。
内部は「将軍山古墳展示館」。

二子山古墳 futagoyama
【形状:前方後円墳/主軸長:138m/主軸方位:---後円部経:70m 高さ13.04m/前方部幅:90m 高さ:14.9m/築造:6世紀前半】

埼玉県下最大の前方後円墳で、周堀はやや歪んだ長方形で二重にめぐっている。墳丘と中堤の西側に「造出(つくりだし)」が出島のようについていて、祀が行われたところ。
発掘調査で径1mを越える大型の円筒埴輪をはじめ、人物埴輪や須恵器の破片が多く出土した。

梅塚古墳跡と天王山古墳 umeduka tennoyama
現在残っている大型古墳の他に、かつて40基以上あった小円墳は水田開発とうによりほとんど失われてしまった。
「梅塚古墳跡」(写真左の円形植込みあるところ)では7基発見され、人物埴輪や土器が出土し、稲荷山古墳と同時期の5世紀末ごろに築かれた。水鳥形埴輪はとくに有名。
「天王山古墳跡」(写真右)は天祥寺の裏。こうした小円墳には豪族の家族や有力の家来が祀られたのではないかと考えられている。

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